歯学部が医学部から分離、独立してから、歯に関する誤った認識のほころびは、益々大きくなっていったのではないでしょうか。
ある種の縄張り意識と言ってもいいような、住み分けができてしまっています。
歯のことは歯医者にまかせればいいという観念が固定化していき、医学部生の授業や医師免許の国家試験においても歯や口腔に関することは軽視され、
希薄になっていきました。その結果、全身を認識すべき医者自身が歯に関してほとんど情報を持たなくなりました。
また医学部病院から歯科の診療科もなくなる中で、全身的異常の発症原因を考える観念の中からも、歯の因子が抜け落ちていきました。
一方、医者者は全身系は医師が診るものと縄張りを張りました。虫歯や歯槽膿漏の改善など、口腔局所の人体は部分の集まりではなく、
人体内部の器官全てが見事な連携と調和を持った小宇宙です。人間の勝手な思惑で歯や口腔を全身系の認識から分離して良いわけがありません。
勝手にわけられた患者はいい迷惑で、治る病気も治らなくなります。そこが現代医学における重大な欠陥であり、これほど医学が発展したにもかかわらず、
依然原因不明の病気が多く残っている最大の原因なのです。最初に歯の認識を全身系のシステムの把握から外し、
地球における医学の発展に構造的な欠陥の種を植え付けた人間は悪魔の申し子でしょう。
こういうことは、中世ヨーロッパで病気は血がケガレルから起きるという考えのもとおきた瀉血(しゃけつ)という治療に似ている気がします。
人体の血液を排出して病気を治そうとする治療法なのですが、これがために命を落とした人間も数多くいます。現在では限られた症状の治療にのみ使われています。
ただ、こうした誤った治療が正確にはいつから行われていたかはわかりませんが、19世紀までは正しいと信じられていたこと、
12世紀にはすでに行われていたことを考えると、なんと600年も正しい治療であると信じられていたことになります。
老齢で、男性でも女性でも、向こうから歩いてこられる間に、この方はまだその気になれば恋が出来そうかな、色気はあるかな、
それともとんでもない、枯れて、とてもそういう色気は伝わって来ないかなという目線で見ていると、歯がある方は、年齢を越えた美しさや色気がそこにあるそうです。
しかし、歯が無くなってしまった方は、枯れた健康がそこあるそうです。歯の存在は直接目に見える形や、健康という表面的な見方では区別できない、
まさに形を越えたダイナミックな世界にその意義と機能が隠されているようです。
また、生き生きとした老人は、そうでない老人に比べて約2倍の歯が残っているというデータもあります。